読者の多くが最も関心を寄せる最大の疑問、それは「ハチ公 待ち続けた理由」と「忠犬ハチ公 物語 真相」の核心です。主人の帰りを待ち続けたとされるハチ公の飼い主は、東京帝国大学(現・東京大学)農学部教授で日本の農業土木学のパイオニアであったハチ公 上野英三郎博士です。1924年初頭、秋田県大館市から生後約2ヶ月で教授の元へと引き取られた「ハチ公 犬種 秋田犬」の幼犬は、上野博士から手塩にかけて愛されました。身体の弱かったハチをベッドの下で寝かせ、散歩の世話を自ら焼き、深い愛情を注ぎ込んだといいます。
しかし、幸福な時間はあまりにも短命でした。暮らし始めてわずか1年4ヶ月後の1925年(大正14年)5月21日、上野教授は農学部の教授会終了直後、脳出血を起こして53歳で急逝します。当時まだ1歳半に過ぎなかったハチは、主人の「死」という不可逆な概念を理解できませんでした。毎夕、渋谷駅の改札口で教授を出迎え、共に帰宅していた幸福な記憶と生活習慣だけが、若い秋田犬の脳裏に強烈に刻み込まれたのです。
ここで一部から根強く囁かれる俗説が、「駅前に通ったのは屋台の焼き鳥屋から肉をもらえたからに過ぎない」という冷めた見方です。当時の渋谷駅前広場には多数の屋台が並び、行き交う人々や屋台の店主からハチが食べ物をもらっていたのは現場証言からも事実です。昭和初期の路上で、大型犬が独力で生き抜くために食物獲得行動を伴っていたことは否定できません。しかし、日本犬保存会初代会長の斎藤弘吉氏が1932年に朝日新聞へ寄稿した「いとしや老犬物語」によって全国区になる以前、ハチは駅員や通行人から心ないいたずらを受け、棒で殴られたり顔に落書きをされたりしていました。
過酷な虐待を受けながらも、改札から電車が到着する午後5時前後に決まって定位置へやってきては、降りてくる乗客の群れに食い入るように視線を送り続けた行動は、単なる飢餓動機だけでは説明がつきません。上野教授の死後、各地を転売・預けられながらも渋谷の旧邸方面へ脱走を繰り返した記録からも、日課となった「主人との交歓の瞬間」を本能の深層で求め続けていたのは明白です。