サータヴァーハナ朝の真実|ローマ交易とデカン高原の覇者を徹底解剖

サータヴァーハナ朝の真実|ローマ交易とデカン高原の覇者を徹底解剖

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サータヴァーハナ朝の繁栄を語る上で欠かせないのが、季節風貿易の真相です。紀元前1世紀頃、エジプトのギリシア人航海者ヒッパロスがアラビア海を定期的に吹くモンスーンの周期性を発見・体系化したと伝えられます。夏季の南西風に乗ってアラビア半島から一気にインド西海岸へ航行し、冬季の北東風を利用して紅海方面へ帰還する航法です。

この大洋横断航路の確立が、地中海世界とインド半島の距離を劇的に縮めました。当時の緊迫感と交易の規模を今に伝える第一級の同時代史料が、1世紀半ばに無名のギリシア系商人によって著された航海記録『エリュトゥラー海案内記(紅海回航記)』です。

同書には、サータヴァーハナ朝の主要港であった「バリガザ(現在のグジャラート州バルーフ)」や「カリヤーン」をめぐる生々しい記述が残されています。当時のデカン西海岸では、北西から進出してきた異民族サカ族(西クシャトラパ)とサータヴァーハナ朝が激しい港湾争奪戦を繰り広げていました。『エリュトゥラー海案内記』第52節には、「カリヤーンの港は以前は開放されていたが、サカ族の支配下に入って以降、外国船が入港すると拿捕されバリガザへ強制連行される」という主旨の記録があり、両勢力がいかに港の利権に血眼になっていたかを証明しています。

この抗争に決定的な終止符を打った英雄が、2世紀初頭に即位したガウタミープトラ・シャータカルニ王でした。ナーシクの石窟寺院に残された碑文によれば、彼は宿敵であった西クシャトラパの王ナハパーナを討ち破り、グジャラートやマールワ地方を奪還。西海岸の通商港を自らの支配下に再統合しました。

西海岸を手中に収めたサータヴァーハナ朝にもたらされた富は、現代の想像を絶する規模でした。ローマ帝国からは大量の金貨・銀貨、葡萄酒、ガラス製品、金属性装飾品が流入し、インド側からは胡椒をはじめとする香辛料、上質な綿布、真珠、象牙、貴石が輸出されました。

大プリニウスはその著書『博物誌』の中で、「インド、セレス(中国)、アラビア半島は毎年我らの帝国から莫大な貨幣を吸い上げており、控えめに見積もっても年間1億セステルティウスにのぼる。これが我らの贅沢と婦人たちへの代償なのだ」と苦渋の筆致で告発しています。ローマ帝国の国庫を枯渇させるほどの貿易赤字を生み出していた主因の一つが、サータヴァーハナ朝のデカンネットワークだったのです。

小林 直樹
著者

小林 直樹

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