日本の昔の国旗は日の丸以外も存在?幕末の幻の旗と歴史変遷の全真相

日本の昔の国旗は日の丸以外も存在?幕末の幻の旗と歴史変遷の全真相

日本の昔の国旗は日の丸以外も存在?幕末の幻の旗と歴史変遷の全真相について専門的な視点から解説いたします。専門家の見解をご確認ください。

「大日本帝国憲法の下で日の丸は厳格に国旗と定められていたはずだ」という言説は、歴史的事実と異なります。驚くべきことに、明治維新から1945年の終戦、さらには昭和から平成初期に至るまで、日本には国旗を直接定めた単独の法律が存在しませんでした。

明治政府が1870年(明治3年)1月27日に発令した太政官布告第57号「商船規則」において、日本の商船が掲げるべき旗として日章旗の規格が示されました。続いて同年10月の太政官布告第651号で海軍軍艦の国旗が定められます。しかし、これらはあくまで行政命令(太政官布告)による船の標識規則に過ぎず、大日本帝国憲法にも「日の丸を国旗とする」という明文規定は一切盛り込まれませんでした。法的には半ば「慣習法上の国旗」という曖昧な状態で、近代日本の激動期を駆け抜けたのです。

このグレーゾーンに決定的な終止符が打たれたのが、1999年(平成11年)8月の国旗国歌法制定の経緯です。教育現場における国旗掲揚や国歌斉唱を巡る激しい対立、そして1999年2月に起きた広島県立世羅高校校長の自死事件を契機に、当時の小渕恵三内閣は法制化に踏み切りました。法案審議では野党からの激しい抵抗や言論界を巻き込んだ議論が巻き起こりましたが、最終的に圧倒的多数で可決・成立しました。

この国旗国歌法において、極めて重要な国旗デザインの変遷理由が記録されています。明治の商船規則では「縦横比7:10、日章は旗竿側に1/100偏心」と定められていましたが、これは当時の手縫い旗が風になびいた際、中央に見えるよう視覚的補正を施した職人的な知恵でした。しかし1999年の法律では現代的なグラフィック基準に合わせ、以下のようにデザインの規格が近代化・統一されました。

  • 縦横比率:「縦2:横3」の黄金比に近い規格へと変更。
  • 日章の位置:旗竿側への偏心を廃止し、幾何学的な「完全な中心」へ配置。
  • 日章の大きさ:直径を「縦の長さの5分の3」と厳密に数値化。
  • 色彩規定:地色は「白色」、日章は鮮明な「紅色(こうしょく)」と定義。

私たちが今日目にする日の丸は、明治の太政官布告の規格をそのまま踏襲しているのではなく、1999年の法制定時に精密な再設計を施された「洗練された現代のデザイン」なのです。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。