石原慎太郎氏の愛人関係と婚外子の存在が公に広く知れ渡る契機となったのは、1996年に大手週刊誌『週刊新潮』や写真週刊誌『FRIDAY』などが報じたスクープ記事でした。当時、すでに衆議院議員を辞職し作家活動に軸足を戻しつつあった慎太郎氏でしたが、政界復帰や東京都知事選への出馬が取り沙汰される中で、過去のスキャンダルとして一気に過熱報道へ発展しました。
報道各社の取材や当時の関係者証言によると、相手女性との出会いは1980年代前半にさかのぼります。当時、自民党の実力派代議士として多忙を極めていた慎太郎氏は、東京・銀座の高級クラブで勤務していた女性と深い関係になり、やがて1983年(昭和58年)に男児が誕生しました。
慎太郎氏は男児の誕生直後から生活費や住居費などの養育支援を水面下で続けていましたが、法的な親子関係を確定させる戸籍上の認知手続きは長年行われていませんでした。事態が法的に動いたのは、男児が小学校高学年を迎えた1994年(平成6年)春のことです。慎太郎氏は自ら役所に認知届を提出し、裁判による強制認知ではなく「任意認知」という形で正式に実子として認める判断を下しました。
スクープ直後の取材対応において、慎太郎氏は事実関係を否定することなく受け止め、「男として、父親としての責任を果たしている」という趣旨の弁明を行い、世間に強い衝撃を与えました。