社会主義陣営の儀礼とはいえ、歴代のソ連指導者の中でブレジネフほど熱心にキスを交わした人物はいない。彼は党内や同盟国の首脳陣の間で「熱烈なキス魔」として知られていた。
ブレジネフのキス外交の犠牲(あるいは恩恵)に預かった指導者は数多い。ユーゴスラビアの指導者チトーは、ブレジネフからあまりに強い力で唇を押し当てられたため、唇から出血したという逸話が残されている。また、チェコスロバキアのスヴォボダ大統領やパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長とも熱烈なキスを交わした記録が残る。
一方で、西側諸国の首脳陣はこの風習に強い警戒感を抱いていた。1970年代のデタント(緊張緩和)期に米ソ首脳会談を行ったアメリカのジミー・カーター大統領は、ブレジネフの強烈なハグを受け止めつつも、唇へのキスは何とか回避したとされる。また、ルーマニアの独裁者チャウシェスクのように、極度の潔癖症とソ連への反発からブレジネフのキスを露骨に拒絶した東側首脳も存在した。
ブレジネフとホーネッカーのキスの理由を掘り下げると、当時の東ドイツの焦燥感が浮かび上がる。1970年代末、東ドイツ経済は停滞し、西側への市民の流出や不満がくすぶっていた。ホーネッカーにとって、自国の正統性を保つためにはソ連の後ろ盾が不可欠であり、ブレジネフにとっても東欧諸国の離反を防ぐためのデモンストレーションが必要だった。あのキスは、両者の利害が一致した結果生まれた政治的な「誓いの儀式」だったのだ。