音楽小説を敬遠する読者の多くが口にするのが、「クラシックの曲名や楽理の知識がないと理解できないのではないか」という懸念です。しかし、これは明確な誤解です。
優れたピアノコンクール小説やクラシック小説において、専門用語は単なる記号に過ぎません。例えば、中山七里の『さよならドビュッシー』では、肉体の限界に挑むリハビリとピアノの打鍵テクニックが密接にリンクしており、医学・身体感覚の描写として自然に理解できるよう設計されています。楽譜が読めなくても、登場人物が抱える葛藤、ライバルへの嫉妬、そして音を媒介とした自己実現のドラマに誰もが感情移入できる構造になっています。
また近年では、YOASOBIのブレイクに端を発した小説を音楽にする原作プロジェクトの定着により、「音楽から物語へ」「物語から音楽へ」という双方向のアクセスが一般化しました。活字とサウンドの境界線は完全に曖昧になっており、予備知識の有無を気にする必要は全くありません。