西郷隆盛の死亡の真相|城山の最期・死因と消えた首の謎を徹底検証

西郷隆盛の死亡の真相|城山の最期・死因と消えた首の謎を徹底検証

西郷隆盛の死亡の真相|城山の最期・死因と消えた首の謎を徹底検証にまつわる役立つ知識を詳しく紐解きます。

明治10年2月に勃発した西南戦争は、熊本城攻防戦、激戦を極めた田原坂の戦いを経て、約7か月に及ぶ内戦の末に最終局面を迎えました。九州各地を転戦した薩摩軍は装備・兵力ともに枯渇し、宮崎・可愛岳(えのたけ)の包囲網を突破した西郷ら決死隊約370名は、故郷である鹿児島の城山へと帰還します。

新政府軍が城山を完全包囲した兵力はおよそ4万人。これに対し、山中に立て籠もった西郷軍の残存兵力はわずか300余名に過ぎませんでした。弾薬は底をつき、飢えと疲労が限界に達するなか、1877年9月24日午前3時55分、新政府軍による一斉砲撃が開始されます。これこそが、日本最後の内戦に幕を下ろした「城山の戦い」の号砲でした。

西郷軍の将兵はわずかな小銃と日本刀を手に、岩崎谷の本営から最後の突撃を敢行。豪雨のように降り注ぐ銃弾のなか、西郷隆盛は満49歳(享年50)でその波乱に満ちた生涯を閉じることとなりました。西郷の死亡場所となった鹿児島市岩崎谷には、現在も「西郷隆盛終焉の地」の石碑が静かに佇んでいます。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。