長野県松本市の奥座敷として栄えてきた浅間温泉は、かつて多くの文人墨客が訪れた名湯ですが、時代の変化とともに観光客の減少や後継者不足という深刻な課題に直面していました。この停滞した温泉街に風穴を開けたのが、新潟県南魚沼の「里山十帖」などを手がけて高い評価を得てきた自遊人の岩佐十良氏によるエリアリノベーションプロジェクトです。
プロジェクトの核となったのは、創業330余年の歴史に幕を閉じた老舗旅館「小柳」の再生でした。岩佐氏が打ち出したのは、単一の巨大ホテルを建設して敷地内に客を囲い込む手法ではなく、「街全体をひとつの宿に見立てる」という開かれた地域共生型の思想です。敷地内を大胆に再構築し、宿泊施設である「松本本箱」と「小柳」を中核に据えながら、ベーカリー、カフェ、ショップなどを点在させ、宿泊客が自然と温泉街へ歩き出す動線がデザインされています。
2020年の開業以降、メディアでの特集やSNS上での拡散が続き、2026年の現在に至るまで稼働率の高い状態を維持しています。単なるラグジュアリーな宿泊にとどまらず、「本と出会う」「地域の日常に溶け込む」「豊かな食と湯に癒やされる」という多面的な体験価値が、情報感度の高い層から圧倒的な共感を得ている背景となっています。