1959年(昭和34年)、皇太子明仁親王と正田美智子さまのご成婚により、皇室史上初となる「民間出身の皇太子妃」が誕生しました。この時、週刊誌や一部報道を中心に「香淳皇后と美智子さまの嫁姑の確執」がセンセーショナルに書き立てられました。
当時、旧皇族や華族出身の女官たち(松平信子や保科武子ら)の間には、皇室の伝統的格式や宮中作法を重んじるあまり、民間出身の妃に対して過度に厳格な態度をとる空気があったことは『入江相政日記』など複数の宮中手記にも記されています。香淳皇后自身も伝統的な宮廷文化の中で育ったため、当初は新しい育児方針(自ら台所に立ち、母乳で育てるスタイルなど)に対する戸惑いがあったことは否定できません。
しかし、近年の歴史研究や関係者の回顧録によると、巷間囁かれたような「陰湿ないじめ」という俗説は誇張されたメディア叙述であり、本質は「前近代的な宮中秩序」から「戦後の開かれた家庭像」への過渡期における制度・文化の軋轢であったことが明らかになっています。公務を共にする中で、香淳皇后は美智子さまの献身的な支えを高く評価し、慈しむ場面も多く見られました。