長渕剛が最初に世間を大きく驚かせたのが、当時トップアイドルとして絶大な人気を誇っていた石野真子との結婚でした。ふたりの出会いは1980年、長渕が構成を担当していたラジオ番組へのゲスト出演や、音楽特番での共演がきっかけとされています。
当時、長渕は「順子」の大ヒットで頭角を現した若手実力派シンガーであり、石野の熱烈なファンでもありました。猛アタックの末に交際へと発展し、1981年8月にハワイで挙式。石野は人気絶頂のなかで惜しまれつつ芸能界を引退し、専業主婦として長渕を支える道を選びました。
しかし、幸せな結婚生活は長くは続きませんでした。1983年5月、結婚からわずか1年9ヶ月で正式に離婚が成立します。後に語られた離婚の背景には、いくつかの決定的な要因が存在していました。
第一に、長渕が求めた極端なまでの「亭主関白スタイル」です。「妻は一歩下がって夫に尽くすべき」「家事は完璧にこなすべき」という伝統的かつ厳格な家庭観を要求され、家庭内でのルールに石野が精神的に追い詰められていったと当時の芸能メディアは報じています。
第二に、同居していた姑(長渕の母親)との関係や生活リズムの不一致です。長渕の音楽制作に伴う過酷なスケジュールと、家庭内での孤立が重なり、互いの信頼関係が急速に摩耗していきました。双方が若く、お互いを尊重し合う「精神的バウンダリー(境界線)」を確立できなかったことが、スピード破綻の構造的要因といえます。