松任谷由実の原点を振り返ると、その早熟ぶりは突出していました。少女時代から六本木などのカルチャースポットに出入りし、先鋭的なミュージシャンたちと交流を深めていた彼女は、14歳の頃にはすでに自作曲を作り始めていたと自著や過去のインタビューで述懐しています。
公式レコードデビューは1972年7月5日、シングル『返事はいらない』(荒井由実名義)でした。この当時の実年齢は18歳(高校卒業直後・多摩美術大学1年生)です。翌1973年11月、19歳のときにリリースされた1stアルバム『ひこうき雲』は、キャラメル・ママ(後のティン・パン・アレイ)の高度な演奏力と相まって、日本のポップミュージック史を塗り替える傑作として今なお語り継がれています。
10代の研ぎ澄まされた感性で『翳りゆく部屋』『まちぶせ』などを生み出し、1976年に松任谷正隆氏と結婚して「松任谷由実」へ改称。1980年代にはリゾートコンサートの先駆けとなった苗場公演のスタートや、アルバムミリオンセラーを連発するバブル期のカルチャーアイコンへと昇華していきました。