雄川堰の起源は、江戸時代初期の1615年(元和元年)頃にさかのぼります。織田信長の次男である織田信雄が上野国小幡藩へ入封した際、城下町の整備と城郭(小幡陣屋)の防衛、そして農地開墾のための水源確保を目的として開削されたのが始まりと伝えられています。
一級河川・雄川から取水された水は、上流から城下町へと引き込まれ、武家屋敷の生活用水や庭園の泉水、さらには堀の役割を果たしました。当時の高度な土木技術と水利配分システムは極めて先進的で、現在に至るまで約400年以上にわたり一度も途絶えることなく機能し続けています。
その価値は多方面から認められており、1985年に環境庁(現・環境省)の「名水百選」、2006年に農林水産省の「疏水百選」へ選定。さらに2014年には国際かんがい排水委員会(ICID)により「世界かんがい施設遺産」として国際的な登録を果たしました。生活と歴史が一体となった生きた文化財として、国内外から高い評価を獲得しています。