孫正義氏の帰化プロセスにおいて、最大のハイライトとなったのが「姓(苗字)をめぐる法務局との対立」でした。
1980年代末、会社が急成長を遂げ株式公開を視野に入れる中で、孫氏は日本国籍の取得を決意します。しかし、帰化申請の窓口となった法務局の担当官からは冷淡な通告を受けました。
「日本人の戸籍に『孫』という前例のない苗字を認めることはできない。これまで通り『安本正義』として帰化申請を行いなさい」
当時、帰化を希望する外国人に対して法務省は、日本社会への同化を促す目的から「日本古来の伝統的な氏名」への改姓を事実上義務づけていました。しかし、孫氏はこれに激しく反発します。一族が差別を恐れて名乗ってきた安本姓ではなく、自分の血脈と誇りの象徴である「孫」のまま日本人として認められなければ、何の意味もないと考えたためです。
膠着する事態を打開したのが、米国留学時代に出会い結婚した妻・大野優美(おおの・ゆみ)さんの存在と、孫氏が編み出した知略でした。
法務局が「日本人に前例のない苗字は認められない」と主張するのであれば、「先に日本人で『孫』姓の人間を作ってしまえばよい」――。そう着想した孫氏は、優美さんに相談を持ちかけます。優美さんは夫の信念を深く理解し、家庭裁判所へ出向いて「外国人配偶者(孫正義)の姓への改姓」を申し立てたのです。
家庭裁判所はこの申請を許可。日本人である優美さんの戸籍上の氏名が「孫優美」となった瞬間、日本国内に「孫という苗字を持つ日本国民」という揺るぎない前例が誕生しました。孫氏はふたたび法務局へ赴き、「すでに日本人に『孫』を名乗る人物が存在する。なぜ私が孫正義で帰化できないのか」と迫りました。法務局側もこの論理を退けることができず、ついに1990年6月、「孫正義」としての日本国籍取得が認められたのです。