本事件が日本社会に与えた最大の制度的インパクトは、間違いなく少年法の抜本的な見直しに向けた議論の起爆剤となった点にある。昭和23年の制定以来、少年の健やかな育成を主眼に置き、刑罰よりも保護処分を優先してきた同法に対し、「悪質な凶悪犯が少年法という盾に守られている」という激しい世論の反発が巻き起こった。
この事件を契機として始まった議論は、2000年代以降の相次ぐ少年法改正へと直接的・間接的に結実していく。刑事処分対象年齢の引き下げや、重大事件における検察官送致(逆送)規定の拡充、さらには被害者参加制度の導入など、法制度はそれまでの「保護主義」から「厳罰化と被害者視点の重視」へと大きく舵を切ることとなった。ひとつの凄惨な事件が、国の法体制そのものを動かした歴史的転換点であった。