相葉雅紀の人生を語る上で、劇的な転換点となったのが1999年9月の嵐 結成秘話です。すでに大野智、櫻井翔、二宮和也、松本潤の4名が選出され、デビュー発表の地である米ハワイへの出発が間近に迫っていた中、相葉雅紀への打診は文字通り電撃的でした。
ハワイ行きのわずか3日前、事務所社長の故・ジャニー喜多川氏から突然かかってきた電話での「You、パスポート持ってる?」という問いかけは、あまりにも有名なエピソードです。当時、偶然にも家族旅行の予定がありパスポートを更新した直後だった相葉雅紀が「持ってます」と答えたことで、運命の歯車が一気に噛み合いました。もしパスポートが手元になければ、現在の5人による「嵐」は誕生していなかったことになります。急遽メンバーに加えられた彼は、現地のクルーザー上でデビュー会見を行い、瞬く間に国民的アイドルの階段を駆け上がることになりました。
しかし、栄光のスタートを切った相葉雅紀 デビュー当時の道のりは決して平坦ではありませんでした。グループの人気が急上昇するさなかの2002年3月、突然の胸の痛みに襲われ救急搬送されます。診断結果は「自然気胸」。肺に穴が開き空気が漏れ出す疾患であり、激しいダンスや長時間の歌唱が不可欠なアイドルにとって致命的な病魔でした。
右肺の虚脱により緊急入院を余儀なくされ、ハワイで開催されたファンイベントへの参加を断念。病室のベッドの上で、相葉雅紀は「自分はもう嵐に戻れないのではないか」「グループの足を引っ張ってしまった」と自責の念に駆られ、一人涙を流したと後のインタビューで述懐しています。さらに2011年6月にも左気胸を再発し、再び入院加療を余儀なくされました。この二度にわたる過酷な相葉雅紀 気胸 経緯こそが、「当たり前にステージに立てることへの感謝」と、何事にも全力で取り組む彼のひたむきな姿勢を決定づけた契機となったのです。