李鋭の人生を決定づけた最大の転換点は、1959年7月から8月にかけて江西省の避暑地で開催された「廬山会議」でした。当時、毛沢東が主導した「大躍進政策」によって全国的な大飢饉と経済崩壊の兆候が顕著になっていました。国防部長の彭徳懐元帥が毛沢東宛てに意見書(いわゆる「万言書」)を提出し、現実離れした高目標や虚偽報告を批判すると、毛沢東はこれを自らに対する反逆と見なして激怒しました。
彭徳懐の主張に共鳴していた李鋭は、即座に「反党分子」「彭徳懐反党集団の追従者」として糾弾され、すべての官職を剥奪されて党籍を剥奪されました。その後、過酷な流刑生活を経て、文化大革命期には政治犯収容所として知られる秦城監獄の単独房に8年間投獄されるという塗炭の苦しみを味わいました。
文革終結後、李鋭はこの歴史的惨劇の全貌を後世に残すため、当時の克明なメモと記憶を基に著書『廬山会議実録』を執筆・出版しました。最高指導部の密室で行われた罵倒や権力闘争、政策破綻を認めたがらない独裁者の心理構造を白日の下に晒した同書は、中国国内で発禁と再版を繰り返しながら、党史研究における金字塔としての地位を確立しました。