1970年代の深夜放送は、フォークソングや深夜受験勉強の伴走者という性格を色濃く残していました。その空気を一変させたのが、1974年1月に土曜2部でスタートし、同年7月に土曜1部(深夜1時〜3時)へと昇格した笑福亭鶴光でした。当時、関西の若手落語家が東京のキー局で冠深夜番組を持つこと自体が異例の抜擢でした。
番組開始直後から、鶴光の型破りなキャラクターとあけすけなトークは若者の心を鷲づかみにします。深夜ラジオの聴取率伝説として今なお語り草となっているのが、当時の調査で記録した個人聴取率8.0%超という驚異的な数値です。深夜1時を回る時間帯におけるこの数字は、現代のテレビゴールデンタイムにおける高視聴率に匹敵する占拠率を誇り、競合ひしめく東京のラジオ各局を完全に沈黙させました。
番組が1985年10月まで記録した11年9か月(通算607回)という土曜1部の連続担当記録は、単独パーソナリティとしては歴代屈指の金字塔です。この数字がどれほど突出していたのか、当時のオールナイトニッポン歴代パーソナリティの顔ぶれと比較することで、その特異性が鮮明に浮かび上がります。
これらの錚々たる歴代パーソナリティ陣のなかにあって、最も早くから10年以上の長期にわたり枠を守り続けたのが鶴光でした。当時の番組関係者が後に回想したところによると、「他局のプロデューサーが土曜深夜の対策を完全に諦めるほどの圧倒的な強さだった」といいます。