学生歌として親しまれていたこの曲が、日本全国津々浦々まで知れ渡る決定打となったのが、1971年(昭和46年)5月にリリースされた加藤登紀子によるカバーシングルでした。哀愁を帯びたアルトボイスと叙情味あふれるアレンジは人々の望郷の念を呼び起こし、レコード売上はミリオンセラーを記録。第13回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞するなど、昭和歌謡史に残る社会現象となりました。
しかし、当時のレコード盤のクレジットには「作詞・小口太郎/作曲・不詳」と記されていました。実はそれまで、メロディの出自については「外国の古い民謡ではないか」「イギリスの歌曲がベースになっている」「三高の別のOBが作曲した」など、諸説が乱立する未解決の謎とされていたのです。
風向きが大きく変わったのは、加藤登紀子のレコード大ヒットから20年余りが経過した1993年(平成5年)のことでした。熱心な音楽研究家や滋賀県の有志による調査の過程で、大正時代に発行された音楽雑誌の記述が決定的な手掛かりをもたらします。
1915年(大正4年)8月号の雑誌『音楽界』に掲載されていた、吉田千秋という青年が手掛けた歌曲「ひつじぐさ(未草)」の楽譜が発見されたのです。その音符と旋律を照合した結果、『琵琶湖周航の歌』のメロディと完全に一致することが判明。小口太郎が詞を披露した際、仲間の学生が口ずさんだ「当時流行していたメロディ」の正体こそが、雑誌を通じて京都の学生街に届いていた吉田千秋の「ひつじぐさ」でした。誕生から76年目にして、ついに原曲の真相と作曲者の実名が白日のもとに晒された瞬間でした。