なぜ人間は、古びた布切れやぬいぐるみにこれほど強い安心感を覚えるのでしょうか。その疑問に学術的な答えを出したのが、英国の小児科医であり精神分析医のドナルド・ウィニコットです。ウィニコットは1950年代、子どもが母親という「絶対的安全基地」から外の世界へと自立していく境界期に、母親の代わりとして選ぶ特別な物品を「移行対象(Transitional Object)」と定義しました。
移行対象には明確な特徴があります。自分自身の身体でもなく、かといって完全に外の世界の物でもない「中間領域」に位置し、自分の意のままに支配できる存在であるという点です。幼少期の子どもは、母親の匂いや特有の柔らかさを持つ布を抱きしめることで、「自分は守られている」という幻想を維持しながら、未知の外の世界へ踏み出す勇気を得ます。
大人になってもぬいぐるみをベッドに置く行為は、この移行対象の心理機能が成人後も持続している状態に他なりません。激務や対人関係の軋轢にさらされ、自分自身をコントロールできないプレッシャーに直面したとき、無条件で自分を受け入れ、幼少期の無垢な安心感を再現してくれる唯一の「安全基地」として機能しているのです。