萬屋錦之介の人生を語る上で避けて通れないのが、昭和を代表する二大女優、有馬稲子、そして淡路恵子との結婚・離婚劇です。その私生活は、豪快な映画スターの光彩と、泥沼の経済的破綻が交錯する凄絶なものでした。
初代妻・有馬稲子との電撃婚と梨園の深い溝(1961〜1965)
1961年、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった錦之介は、松竹のトップ女優として絶大な人気を誇っていた有馬稲子と結婚しました。当代の美男美女スター同士の結婚は「世紀のロマンス」として日本中を沸かせました。
しかし、結婚生活はわずか4年で破綻を迎えます。後年、有馬稲子が自著『バラと女』や各種手記、テレビ番組の独占告白で明かした離婚理由は、当時の昭和芸能界における「封建的な家父長制」と「梨園の妻」としての強烈な摩擦でした。有馬は映画女優としての自立したキャリアを望んでいましたが、小川家の親族や周囲からは「家庭に入り、夫を陰から支える伝統的な妻」であることを強要されました。さらに、錦之介の豪快すぎる金銭感覚や夜の付き合い、取り巻きとの関係性に対する価値観の相違が決定的となり、1965年に二人は子供をもうけることなく協議離婚に至りました。
二代目の妻・淡路恵子との21年間と13億円の借金(1966〜1987)
有馬との離婚の翌年である1966年、錦之介は映画『丹下左膳』などで共演していた女優・淡路恵子と再婚します。淡路は前夫(フィリピン人歌手のビンボー・ダナオ)との間に2人の男児を連れての再婚であり、芸能活動を休止して錦之介との家庭に専念。その後、錦之介との間にさらに2人の男子を出産し、計4人の男児の母として小川家を支えました。
二人の関係は長年「芸能界のおしどり夫婦」と称えられましたが、1980年代に入り破滅の足音が忍び寄ります。錦之介が主宰していた「中村プロダクション」が放漫経営と制作費の高騰により、1982年に負債総額約13億〜16億円を抱えて事実上の倒産に追い込まれたのです。錦之介は個人保証をしていたため、莫大な借金を背負うことになりました。
さらに同年、錦之介を国の難病指定である「重症筋無力症」が襲います。呼吸困難や全身の麻痺に苦しむ夫を、淡路は自らの宝飾品を売り払い、債権者からの激しい取り立てに怯えながら必死に看病しました。しかし、この壮絶な看病の過程で修復不能な亀裂が生じます。錦之介を献身的に介助していた付き人女優・甲子江美(きのええみ)と錦之介との間に深い男女関係が芽生えたのです。
「命がけで支えた果てに、身近な女性へ心を移された」という裏切りに対し、淡路恵子の怒りと絶望は筆舌に尽くしがたいものでした。錦之介側が離婚を申し立て、泥沼の調停・裁判闘争の末、1987年に21年間の婚姻生活に終止符が打たれました。
錦之介はその後、1990年に甲子江美と3度目の結婚を果たし、1997年に自らが息を引き取るまで彼女の介護を受けることになります。