春日八郎の公式な直接死因は肝硬変である。最期を迎えたのは東京都新宿区の東京医科大学病院だった。晩年の春日は入退院を繰り返す過酷な体調不良に見舞われながらも、周囲には気丈に振る舞い続けていたという。
病状が急激に悪化したのは1991年の秋。意識が混濁する直前、ベッドサイドに寄り添う親族や関係者に対して「まだ歌いたい歌がある」「声が出るうちは舞台に立たせてくれ」と掠れた声で漏らしたとされる。昭和の歌謡界を支えた孤高のプライドが、最後の肉声に滲み出ていた。
春日八郎の公式な直接死因は肝硬変である。最期を迎えたのは東京都新宿区の東京医科大学病院だった。晩年の春日は入退院を繰り返す過酷な体調不良に見舞われながらも、周囲には気丈に振る舞い続けていたという。
病状が急激に悪化したのは1991年の秋。意識が混濁する直前、ベッドサイドに寄り添う親族や関係者に対して「まだ歌いたい歌がある」「声が出るうちは舞台に立たせてくれ」と掠れた声で漏らしたとされる。昭和の歌謡界を支えた孤高のプライドが、最後の肉声に滲み出ていた。