「こん平でーす」の真相と誕生秘話|笑点降板・壮絶闘病の軌跡

「こん平でーす」の真相と誕生秘話|笑点降板・壮絶闘病の軌跡

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多発性硬化症の宣告を受けた後のこん平の日常は、想像を絶するリハビリの連続でした。手足の自由を奪われ、声帯が思うように震えないという状態は、言葉と身振り手振りだけで森羅万象を表現する落語家にとって、アイデンティティそのものを否定されるに等しい悲劇です。しかし、こん平は決して引きこもる道を選びませんでした。

家族や医療スタッフ、そして一門の弟子たちに支えられながら、毎日数時間に及ぶ筋力トレーニングや発音訓練を継続。関係者の証言によると、「1パーセントでも可能性があるなら、そこに命を懸ける」と語り、苦痛に顔をゆがめながらも懸命に声を絞り出していたといいます。その生き様は、同じ難病に苦しむ患者会の人々にとっても巨大な希望の光となりました。

リハビリの大きな目標となったのが、自身が発起人となって立ち上げた「都電落語会」でした。都電荒川線の貸し切り車両という極めて客席との距離が近い空間で、車輪の軋む音を聞きながら噺を聞かせるこの名物企画は、病に倒れた後もこん平のライフワークとして継続されました。車椅子に乗って登場したこん平が、麻痺の残る右手を懸命に動かし、掠れる声で「チャラ〜ン!」と叫んだ瞬間、車内は割れんばかりの拍手と涙に包まれたといいます。このイベントは弟子のたい平や笑点メンバーらによって支え続けられ、2024年に惜しまれつつ幕を閉じるまで、こん平の魂の居場所として機能し続けました。

さらに世間を驚かせたのが、2015年夏に放送された『24時間テレビ』での一幕です。日本武道館の特設ステージ、歴代の『笑点』メンバーが温かい眼差しで見守るなか、およそ10年の歳月を経て大喜利の席に座ったこん平は、全身全霊の力を振り絞って「こん平でーす!」と絶叫。ネット上では「本物の芸人の意地を見た」「涙が止まらない」と大きな反響を呼び、視聴者の胸を熱く揺さぶりました。

また、晩年には家族に対する温かな愛情を示すエピソードも残されています。落語家にならなかった自身の子どもたちに代わり、孫のひとりが「落語家になりたい」と口にした際、こん平は飛び上がらんばかりに喜びました。地元・新潟のお米のPRに長年携わっていた経験から、その孫のために「林家ごはん」という芸名をあらかじめ考案して楽しそうに語っていたという逸話は、最後まで落語と家族を愛し続けた人間味を雄弁に物語っています。

斉藤 蓮
著者

斉藤 蓮

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。