現代において「洛中」と呼ばれるエリアは、一般的に北を北大路通、南を十条通(あるいは九条通)、東を鴨川、西を西大路通に囲まれた範囲を指すことが多い。だが、生粋の京都人に尋ねると、その境界線はさらに狭まる。丸太町通より南、五条通より北、烏丸通を中心としたわずか数キロ四方のみを「真の洛中」と呼ぶ古老も少なくない。
この洛中と「洛外」を分かつ決定的な違いは、単なる住所表記の差異にとどまらない。かつて都の防衛や課税の対象として明確に線引きされた名残が、生活文化、祭りへの関わり方、ひいては商取引の信用度にまで影を落としている。洛外が農村や郊外としての役割を担わされてきた歴史がある一方、洛中は権力と富が集積する聖域であり続けた。その心理的な断絶は、令和の今も京都人の日常会話の端々に顔を覗かせる。