日本はなぜ左側通行?刀の鞘伝説の真相と世界76カ国の歴史的経緯

日本はなぜ左側通行?刀の鞘伝説の真相と世界76カ国の歴史的経緯

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日本における左側通行の理由を語る際、最も人口に膾炙しているのが武士の刀起源説の真相です。江戸時代、武士は刀を左腰に差して歩いていました。仮に右側を歩いてすれ違うと、お互いの刀の鞘が触れ合う「鞘当て」が発生し、それが侮辱や果たし合いの引き金になりかねません。そのため、無用な争いを避ける防衛策として自然発生的に「左側を歩く」という暗黙のルールが町方や街道で形成されたことは、当時の武芸記録や風俗絵巻の分析からも事実として確認できます。

しかし、文化的な慣習が存在したことと、近代法として自動車や荷車の通行区分を定めたことの間には大きな断絶があります。日本が左側通行になった歴史を公文書から追跡すると、決定的な転換点は1872年(明治5年)の新橋〜横浜間の鉄道開業にありました。

当時、幕末から明治維新にかけての日本政府は、近代化の模範として鉄道発祥の地であるイギリスの技術を全面的に導入しました。軌間(ゲージ)や機関車、信号システムはもちろん、イギリス人技師の指導のもとで「複線は左側通行」という運転方式がそのまま採用されたのです。鉄道のレールが左側を走る以上、踏切で交差する馬車や荷車、後の路面電車も左側を通行させなければ運行上の重大事故を招きます。

その後、1900年(明治33年)に警視庁が定めた「道路取締規則」において「車馬は左側を通行すべし」と明文化され、1924年(大正13年)の全国統一改正によって「車馬左側」が法的に確定しました。つまり、武士の身体的作法という土壌の上に、イギリス由来の鉄道インフラが乗っかり、国家の交通ルールとして固定化されたというのが歴史学的実像です。

斉藤 蓮
著者

斉藤 蓮

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。