山谷がなぜ簡易宿泊所の集積地となったのかを理解するには、江戸時代にまで遡る歴史的文脈を知る必要があります。
江戸期、日光街道の初宿である千住宿の手前に位置したこの地は、旅人向けの木賃宿(格安宿)が立ち並ぶ場所でした。また、近くには小塚原刑場があり、社会の周縁に置かれた人々が集まる宿場町としての性格を帯びていました。漫画『あしたのジョー』の舞台としても有名な山谷の「泪橋(なみだばし)」は、罪人が刑場へ向かう際に家族と今生の別れを惜しんで涙を流したことから名付けられたと伝えられています(現在は暗渠化され交差点名として残存)。
戦後、高度経済成長期を迎えると、東京オリンピック(1964年)関連のインフラ整備やビルの建設ラッシュに伴い、大量の労働力が必要とされました。職を求めて全国から集まった日雇い労働者を受け入れたのが、山谷に林立した「ドヤ(宿を意味する隠語)」と呼ばれる簡易宿泊所でした。最盛期の1960年代には、わずか数百メートル四方のエリアに約1万5,000人から2万人近い労働者がひしめき、早朝の労働争議や暴動が発生するなど、極めて熱量の高い労働者の街を形成していました。