なぜ、品川駅前の一等地にあった京急第7ビルは解体されなければならなかったのでしょうか。その背景を読み解くには、京急第7ビルの歴史と経緯、そして京浜急行電鉄の経営戦略を振り返る必要があります。
もともと品川・高輪エリアは、京浜急行電鉄にとって創業期からの本拠地であり、精神的・機能的な心臓部でした。国道15号を挟んだ一帯には、第7ビルをはじめとする京急関連のオフィスビルや商業ビルが林立し、鉄道運行を支える指令機能やグループ各社の本社、社員寮、関連店舗などが高度経済成長期から平成にかけて次々と集積していきました。
転機が訪れたのは2010年代後半です。最大の契機となったのは、2019年秋に実行された京浜急行電鉄 本社移転でした。グループ創業の地である品川を離れ、横浜みなとみらい21地区に竣工した「京急グループ本社」へと主要機能を集約。この歴史的決断の真の狙いこそが、手狭になった機能の近代化と同時に、品川駅西口地区再開発に向けた保有不動産の総力的な流動化・再配置だったのです。
本社機能や主要グループ会社が横浜へと抜けたことで、港区高輪 京急第7ビルを含む駅前資産は、単なる自社オフィスとしての役割を終え、国際都市・東京の新たな玄関口を創出するための「開発用地」へと性格を変えることになりました。