判決後、ビートたけしは約7ヶ月間にわたる一切のメディア露出を自粛しました。当時、彼は『オレたちひょうきん族』『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』など、各局で国民的看板番組を多数抱えるスーパースターであり、その穴埋めにテレビ界は大混乱に陥りました。
しかし、世論の反応はたけしに極めて同情的でした。当時、プライバシーを容赦なく暴き立てる写真週刊誌の手法に対して一般市民の間でも不満が鬱積しており、「女性を守るために立ち上がった」という義侠心に共感する声が多数寄せられたのです。
1987年7月、ニッポン放送『ビートたけしのオールナイトニッポン』の生放送でラジオ復帰。第一声で放った「いやー、どうもどうも」という照れ隠しの挨拶とともに、リスナーから圧倒的な歓声で迎えられました。テレビ番組への復帰も順次進み、スポンサーや視聴者の強力な支持を背景に、彼のキャリアは挫折することなく更なる黄金期へと突入していきました。