Q1:川中島の戦いは結局、信玄と謙信のどちらが勝ったのですか?
A1:戦局を分ける第四次合戦において、多くの重臣を討ち取られた武田軍は戦術的な被害が甚大でしたが、最終的に上杉軍を撤退させ、北信濃の領有権を確保したため「長期的な領土戦略としては武田信玄の勝利」と評価されます。全5回の合戦全体を通しても、北信濃を武田の領国として確定させた点において、信玄が戦略的目標を達成したと見なすのが歴史学的な定説です。
Q2:「敵に塩を送る」ということわざは、本当に謙信が信玄に塩を贈ったことから生まれたのですか?
A2:ことわざの由来となった出来事は実在しますが、史実は「無償で塩をプレゼントした」わけではありません。今川氏が甲斐への経済封鎖(塩留め)を行った際、謙信が「民間商人が甲斐へ塩を運んで適正価格で販売することを妨害せず、通商を保証した」という出来事が真相です。この信義に基づいた経済的措置が、後世に美談として脚色されことわざとして定着しました。
Q3:もし武田信玄と上杉謙信が同盟を結んで織田信長と戦っていたら、天下はどうなっていましたか?
A3:戦国史最大の「IF」の一つですが、二人が完全に手を組んで西上していれば、当時の織田信長は挟撃され滅亡の危機に瀕していた可能性が極めて高いと考えられます。しかし、内陸国で領土拡大を宿命づけられた武田氏と、旧勢力の秩序回復を大義とする上杉氏とでは根本的な利害関係が対立しており、領土的な境界線が接している以上、真の軍事同盟を結ぶことは地政学的に困難でした。