佐藤昭子を語る上で避けて通れないのが、「佐藤昭子の隠し子真相」として長年永田町のタブーとされてきた次女の存在です。1957年(昭和32年)、彼女は女児を出産します。それが後に角栄の隠し子であることを公表した佐藤あつ子(敦子)氏です。
あつ子氏は成長するにつれ、母のオフィスや神楽坂の自宅を頻繁に訪れる角栄を「パパさん」と呼んで慕いました。しかし、公の場では決して父と娘であると名乗ることは許されませんでした。政治的スキャンダルを避けるため、角栄が生前にあつ子氏を法的に「認知」することはなかったのです。あつ子氏が上梓した手記『田中角栄の娘 あつ子と昭子の40年』では、偉大すぎる「父」と、権力に憑りつかれた「母」の間で揺れ動いた過酷な少女時代が赤裸々に綴られています。
そして1993年の角栄の死、さらに2010年の昭子自身の死去に伴い、「佐藤昭子の遺産相続」をめぐっても過酷な現実が突きつけられました。法的な実子として認知されていなかったため、角栄が遺した広大な目白台の土地や莫大な遺産に対して、あつ子氏には何ら相続権がありませんでした。それどころか、昭子が遺した平河町のオフィス関連資産等に対しても多額の相続税が課されるなど、権力の陰で生きた家族には過酷な代償が待ち受けていたのです。
現在の佐藤あつ子氏は、一連の騒動や母の看取りを終えた後、執筆活動やメディアへの証言を通じて、昭和の怪物と呼ばれた田中角栄と母・昭子の真実の姿を後世に伝える役割を静かに担っています。