Q1:宇喜多秀家は八丈島で妻の豪姫と再会できたのですか?
A1:残念ながら生涯再会することは叶いませんでした。豪姫は加賀前田家に戻り、金沢で秀家の無事を祈り続けながら1634年に59歳で死去しました。しかし、豪姫が整えた加賀藩からの手厚い仕送りは、秀家が亡くなるまで途切れることなく島へ届き続けました。
Q2:秀家が島で名乗っていた「久福」とはどういう意味ですか?
A2:秀家は八丈島へ流された際、出家して「久福」と号しました。大名時代の「秀家」という名を捨て、罪人として目立たず平穏に暮らすための配慮であると同時に、仏道に帰依して関ヶ原で倒れた敵味方の将兵の冥福を祈る意図が込められていたと伝えられています。
Q3:八丈島で宇喜多秀家ゆかりの史跡を観光・巡礼することはできますか?
A3:可能です。東京都八丈町大賀郷には「宇喜多秀家住居跡」や石垣が保存されているほか、秀家の墓所(東京都指定旧跡)、秀家と豪姫が並び立つ「宇喜多秀家公・豪姫の碑」などがあり、八丈島の代表的な歴史探訪スポットとなっています。