フィリピン中部の東ビサヤ地方に位置するレイテ島。地図上で確認すると、南北に細長い形状をしており、太平洋と内海(カモテス海)を隔てる天然の要衝です。ここが太平洋戦争における雌雄を決する決戦の舞台となった背景には、連合軍南西太平洋方面最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥の執念と、日本軍のシーレーン(海上交通路)防衛という死活問題が重なり合った経緯があります。
1942年、フィリピン防衛戦で日本軍に敗れたマッカーサーは、「アイ・シャル・リターン(私は必ず戻る)」と言い残してオーストラリアへ脱出しました。そして1944年10月20日、マッカーサー率いる連合軍大艦隊がレイテ島東岸のパロ、レッド・ビーチに劇的な上陸を果たします。浅瀬に降り立ち、軍靴を濡らしながら前進するマッカーサーの写真とラジオ放送「People of the Philippines: I have returned!」は、反攻作戦の象徴として世界に発信されました。
一方、日本軍上層部にとってもフィリピンの喪失は、南方の石油資源地帯と日本本土を結ぶ補給路の完全分断を意味し、戦争継続が不可能になることを指していました。当初、大本営はルソン島での持久決戦(捷一号作戦)を予定していたものの、米機動部隊に大打撃を与えたと誤認した「台湾沖航空戦」の過大な戦果報告に幻惑され、作戦を急遽変更。手薄だったレイテ島に精鋭部隊を逐次投入し、決戦を挑むという致命的な戦略ミスを犯してしまったのです。
この地上戦に連動して発生したのが、史上最大の海戦と呼ばれるレイテ沖海戦(1944年10月23日〜26日)です。連合艦隊は残存戦力のすべてを投じ、戦艦「武蔵」の沈没や栗田艦隊の謎の反転、そして神風特別攻撃隊の初出撃という壮絶な結末を迎え、事実上壊滅。制空権と制海権を完全に米軍に握られたレイテ島の日本陸軍地上部隊は、増援も補給も絶たれたまま、絶望的な持久戦へと追い込まれていきました。