1945年4月5日、ソ連の外務人民委員(外相)ヴャチェスラフ・モロトフは、日本の佐藤尚武駐ソ大使を呼び出し、条約を延長しない旨を伝達しました(モロトフ通告)。条約の規定上、破棄を通告しても1946年4月までは有効であるはずでしたが、ソ連にとってそれは単なる時間稼ぎのセレモニーに過ぎませんでした。
そして運命の1945年8月8日深夜(日本時間8月9日未明)、モロトフは佐藤大使に宣戦布告書を手交。同時に、150万人を超えるソ連軍が満州、朝鮮半島北部、南樺太へ一斉に進撃を開始しました。広島に続く長崎への原爆投下、そして頼みの綱だったソ連の裏切り参戦という二重の絶望に直面した日本政府は、最高戦争指導会議を経てポツダム宣言受諾へと一気に傾いていきました。