「『ん』から始まる言葉など辞書に載っていない反則だ」という反論は、現代の辞書学の前では通用しません。日本を代表する中型国語辞典『広辞苑』(岩波書店)の最新版(第7版)を開くと、明確に五十音順の最後に「ん」の見出し項目が設けられています。
広辞苑において「ん」の項目が立てられている主たる理由は、沖縄県をはじめとする南島方言の音韻体系を正確に記録・保存するためです。琉球諸語では、語頭に撥音(鼻音)が立つことが自然な音韻変化として定着しています。具体的には、以下のような伝統語彙が堂々と採録されています。
- ンマ(広辞苑掲載):沖縄方言で「馬」を意味する言葉。
- ンブシー(広辞苑掲載):沖縄料理の伝統的な調理法で、水分を多く含む野菜などを味噌や出汁で蒸し煮にした料理。
- ンギャナ(広辞苑掲載):ニガナ(苦菜)を指す宮古方言。薬草として古くから親しまれる伝統野菜。
編纂関係者の記録や言語学の研究資料によると、近代以前の日本語(古語)においても語頭の鼻音化現象は見られましたが、標準語の成立過程で整理されました。しかし、生きた日本の言語文化を網羅する辞書編集の方針として、これらの南島語彙は極めて重要な学術的価値を持っています。