ねむの樹学園の誕生とその後の発展は、決して平坦な道のりではありませんでした。当時の歴史と経緯を紐解くと、昭和の高度経済成長期における福祉政策の遅れと、それに抗った一人の女性の壮絶な戦いが浮かび上がります。
1960年代、売れっ子歌手・女優として多忙を極めていた宮城まり子氏は、肢体不自由でありながら教育を受けられない子どもたちの存在に衝撃を受けました。当時、公的な養護学校の義務化すら未達成だった時代背景において、私財をすべて投げ打って静岡県小笠郡浜岡町(現・御前崎市)に施設を開設した行動は、芸能界内外に大きな衝撃を与えました。
当時の特番インタビューや自著で語られた「子どもたちに本物を見せたい。美しいものに触れさせたい」という告白通り、彼女は一流の芸術教育を導入。1974年に公開された記録映画『ねむの木の詩』は国内外で絶賛され、園生たちが描いた絵画はフランス・パリのポンピドゥー・センターをはじめ世界各地で展覧会が開催される快挙を成し遂げました。
一方で、1990年代以降の掛川市への全面移転に伴う多額の建設費問題や、カリスマ的指導体制に対する一部メディアの批判的論調など、様々な試練にも直面しました。しかし、それらのニュースや噂の真相を追跡すると、子どもたちの生活環境を第一に考えた設備投資であり、現場の献身的な実践によって信頼を勝ち取ってきた事実が明らかになっています。