戦後最悪の三菱銀行人質事件|梅川昭良42時間籠城と突入の真相

戦後最悪の三菱銀行人質事件|梅川昭良42時間籠城と突入の真相

戦後最悪の三菱銀行人質事件|梅川昭良42時間籠城と突入の真相に関する最新の話題を分かりやすく解説いたします。

膠着する状況を打破した三菱銀行人質事件の救出作戦の経緯は、現在も特殊部隊運用の金字塔として語られます。42時間が経過した1月28日早朝、犯人の体力・注意力が低下する一方で、人質たちの生命危機が高まっていました。現場指揮を執る大阪府警警備部本部は、「これ以上の引き延ばしは人質の衰弱死や凶行の再発を招く」と判断し、実力行使による突入を決断しました。

この歴史的突入を担ったのが、三菱銀行人質事件の突入部隊であり、当時極秘裏に組織されていた大阪府警第2機動隊の特殊班、通称「零中隊」でした。この部隊こそが、1977年のダッカ日航機ハイジャック事件を契機に秘密裏に編成され、のちの警察庁特殊急襲部隊「SAT(Special Assault Team)」の母体となった伝説の精鋭集団です。

突入計画は極めて緻密に練られました。当時の三菱銀行人質事件における警察の狙撃班は、店外のビル屋上や窓からライフルで梅川の頭部を狙い続けていましたが、人質を盾にする梅川に対して安易な狙撃は許されませんでした。そこで、店内の死角やシャッターの隙間から店内の様子を観察し、梅川が散弾銃を膝の上に置き、油断した瞬間を狙って急襲する作戦が立てられました。

1月28日午前8時すぎ、合図とともに突入班が正面および通用口から一斉に店内へ雪崩れ込みました。「動くな、警察だ!」の叫びと同時に、突入隊員たちは梅川の散弾銃が人質に向けられるのを防ぐため、短銃(拳銃)による集中射撃を行いました。放たれた銃弾は梅川の頭部や頸部、胸部に命中。梅川は床に倒れ込み、人質には一人の負傷者も出すことなく、電光石火の早業で作戦は完遂されたのです。梅川は救急搬送されたものの、同日午前中に死亡が確認されました。

佐々木 一輝
著者

佐々木 一輝

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。