松井石根と南京事件の真相|大アジア主義と東京裁判・死刑判決の深層

松井石根と南京事件の真相|大アジア主義と東京裁判・死刑判決の深層

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第二次世界大戦終結後、松井石根はGHQによりA級戦犯容疑で逮捕され、巣鴨プリズンに収監されます。1946年から始まった極東国際軍事裁判において、松井に対する審理は異例の展開を辿りました。

検察側は松井を「侵略戦争の共同謀議(訴因1)」の首謀者の一人として追及しましたが、裁判官らは松井が予備役であった期間が長く、日中戦争の開戦を主導したわけではない点を認め、「平和に対する罪」に関するすべての主要訴因について無罪と認定しました。しかし、彼に突きつけられた唯一の有罪理由が「訴因55(捕虜及び文民に対する通例の戦争犯罪の防止義務怠慢)」でした。

被告氏名主な役職・立場主な有罪訴因判決結果と法理的特徴松井 石根中支那方面軍司令官(陸軍大将)訴因55のみ(法規遵守の怠慢・文民保護義務違反)死刑(絞首刑)。A級訴因はすべて無罪、B・C級に相当する不作為責任のみで死刑となった唯一の例。東条 英機内閣総理大臣・陸軍大臣訴因1、27、29、31、32、54(侵略戦争の共同謀議・開戦責任など)死刑(絞首刑)。国家最高指導者としての開戦責任および捕虜虐待の命令責任。広田 弘毅元首相・外務大臣(文官)訴因1、27、55(侵略戦争の指導、軍の残虐行為不阻止)死刑(絞首刑)。文官として唯一の死刑。閣僚として軍の残虐行為を阻止しなかった責任を問われた。武藤 章陸軍省軍務局長・第14方面軍参謀長訴因1、27、29、31、32、54、55(開戦謀議およびフィリピン等での戦時犯罪)死刑(絞首刑)。中枢幕僚としての政策立案責任と戦場における残虐行為責任の双方。

法学的に見て、松井石根の判決は極めて厳格なものでした。法廷は「松井は南京で残虐行為が行われていることを知っていた、あるいは知ることができた立場にあり、それを防止する十全な権限を行使しなかった」と断じました。最高指揮官としての「指揮責任(Command Responsibility)」および「不作為の過失」を極限まで重く問うた判決であり、彼が積極的に虐殺を命じたわけではないにもかかわらず、絞首刑という極刑が選択されたのです。

伊藤 翔太
著者

伊藤 翔太

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。