第二次世界大戦終結後、松井石根はGHQによりA級戦犯容疑で逮捕され、巣鴨プリズンに収監されます。1946年から始まった極東国際軍事裁判において、松井に対する審理は異例の展開を辿りました。
検察側は松井を「侵略戦争の共同謀議(訴因1)」の首謀者の一人として追及しましたが、裁判官らは松井が予備役であった期間が長く、日中戦争の開戦を主導したわけではない点を認め、「平和に対する罪」に関するすべての主要訴因について無罪と認定しました。しかし、彼に突きつけられた唯一の有罪理由が「訴因55(捕虜及び文民に対する通例の戦争犯罪の防止義務怠慢)」でした。
法学的に見て、松井石根の判決は極めて厳格なものでした。法廷は「松井は南京で残虐行為が行われていることを知っていた、あるいは知ることができた立場にあり、それを防止する十全な権限を行使しなかった」と断じました。最高指揮官としての「指揮責任(Command Responsibility)」および「不作為の過失」を極限まで重く問うた判決であり、彼が積極的に虐殺を命じたわけではないにもかかわらず、絞首刑という極刑が選択されたのです。