なぜ錦之介の一族は、これほどまでに過酷な運命を辿らなければならなかったのか。その発端となったのが、1982年に表面化した中村プロダクションの経営破綻(倒産)です。当時の報道関係者の証言によると、負債総額は当時の貨幣価値で約13億〜14億円という天文学的数字に膨らんでいました。
倒産の背景には、錦之介自身の「役者馬鹿」とも言える芸術至上主義がありました。映画黄金期の豪快な金銭感覚が抜けず、テレビ時代劇『破れ傘刀舟悪人狩り』や舞台の製作において、採算を度外視した巨額の美術費・人件費を惜しみなく投入。取り巻きへの大盤振る舞いや杜撰な放漫経営が重なり、資金ショートを起こしたのです。
さらに運命の歯車を狂わせたのが、同じ1982年に錦之介を襲った特定疾患「重症筋無力症」でした。全身の筋力が低下し、呼吸困難に陥る難病であり、大黒柱である錦之介は長期入院を余儀なくされました。稼ぎ頭が倒れ、莫大な返済だけが残る極限状態の中で、妻の淡路恵子は金融業者からの容赦ない督促の盾となり、自らの預貯金や貴金属、不動産をすべて売り払って返済に充てました。
にもかかわらず、病床の錦之介の心は献身する妻・淡路から、若き甲斐智枝美へと傾いていきました。「命を削って借金を背負い、看病し続けた結末が裏切りだった」。当時の芸能ワイドショーで淡路が見せた憔悴しきった表情と絞り出すような憤りは、日本中の視聴者に強烈な衝撃を与えました。