唐古・鍵遺跡史跡公園の象徴であり、訪れる者を圧倒するのが、唐古池の南西端にそびえ立つ高さ12.5メートルの復元楼閣です。弥生建築といえば茅葺きの平屋や高床住居を想起しがちな一般的なイメージを根底から覆すこの重層構造は、どのような経緯でこの地に姿を現したのでしょうか。
時計の針を1991年(平成3年)へと巻き戻します。第47次調査の発掘現場において、調査員の手によって掘り出された弥生時代中期(約2000年前)の土器片に、日本中を震撼させる線画が刻まれていました。そこには、2階建てないし3階建てと見られる高層の建物と、屋根の四隅から天に向かって大きく渦を巻く角のような装飾が克明に描かれていたのです。それまで文献が存在しない弥生時代の建物上部構造は推測の域を出ませんでしたが、この「絵画土器」の発見によって、当時の人々が高度な木工技術と独自の建築美学を有していた動かぬ証拠が白日のもとに晒されました。
とりわけ研究者の間で熱い議論を巻き起こし続けているのが、屋根の四隅に配された「渦巻き飾り」の意味です。現在、学会および研究者の間では主に3つの仮説が提示されています。
- 神霊を招く依代・「鳥」の抽象化説:弥生文化において鳥は、穀物の霊を運び、死者の魂を天へと導く神聖な存在として尊ばれました。各地の絵画土器や木製品に見られる鳥の頭部や蕨手(わらびて)状のモチーフが極度に意匠化されたとする見解です。
- 自然現象(渦・風・雷)の神格化説:農耕社会にとって死活問題である雨や風を司る水神・雷神のシンボルとして、渦巻きを描くことで天への祈祷を捧げたとする解釈です。
- 集落の威信を示す権力モニュメント説:遠方からも視認できるランドマークとして、技術力と首長層の権威を周辺集落に見せつける威圧的装飾であったとする見方です。
当時の復元事業に携わった専門家チームの記録によれば、柱穴の遺構寸法と絵画土器のプロポーションをミリ単位で照合し、杉の巨木を用いた伝統工法で1994年(平成6年)に完成させました。楼閣の内部には入れないものの、夕暮れ時に西日を背負って浮かび上がる楼閣のシルエットは、祭祀を執り行っていた古代のシャーマンたちの息遣いを生々しく想起させます。