では、かつての嫌悪感はどのようにして消え去り、熱狂的な支持へと置き換わっていったのでしょうか。SNSやネットコミュニティに蓄積された膨大なコメントの変遷を辿ると、潮目が変わった決定的な転換点が見えてきます。
田中みな実の場合、自著や独占インタビューで吐露された「20代の頃は求められるキャラクターを演じるのに必死で、毎晩泣きながら帰宅していた」という現場での苦悩の告白が、人々の認識を180度覆しました。公の場で見せた表情の翳りや、自らのコンプレックスを埋めるために開始した過酷なトレーニング、徹底した食事管理。これらが明かされた瞬間、ネットの空気は一変します。
「男に媚びているのではなく、自分を高めるためにあざとさを利用していただけだった」「あの肌とスタイルを保つための努力量は並大抵ではない」——5ちゃんねるやX(旧Twitter)の美容アカウント界隈では、彼女の使っている化粧品やサプリメントが瞬時に完売する「みな実売れ」現象が常態化しました。あざとさが「媚び」から「自己研鑽の結晶」へと読み替えられた瞬間です。
一方、森香澄に対する評判は、よりデジタルネイティブなドライさを孕んでいます。テレビ東京退社時の一部流出騒動や批判に対しても、彼女は過剰に弁明することなく、ひたすらSNSへの投下頻度を上げ続けました。バラエティ番組で「あざといと言われるのは私の仕事ですから」と笑顔で言い放つ姿に対し、ネット掲示板では次のような声が主流を占めています。
「ここまで徹底してプロのあざとさを提供してくれるなら、見ていて清々しい」「ぶりっ子を隠す奴が一番タチが悪い。森香澄はビジネスあざといを堂々と公言しているから推せる」。演出であることを隠蔽せず、エンタテインメントとしての「あざとさ」を完璧に演じきる潔さが、現代の視聴者に心地よい納得感を与えているのです。