美川憲一『さそり座の女』誕生秘話と歌詞の真相|実像と名曲の半世紀

美川憲一『さそり座の女』誕生秘話と歌詞の真相|実像と名曲の半世紀

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1972年12月20日に日本クラウンからリリースされたシングル『さそり座の女』。この歴史的名曲が世に出る契機を振り返ると、そこには制作現場におけるギリギリの判断とドラマがありました。当時、美川憲一は『柳ヶ瀬ブルース』(1966年)や『新潟ブルース』(1967年)の大ヒットを経て、ムード歌謡のトップランナーとして不動の地位を築いていましたが、さらなる新境地を開拓する決定打を求めていました。

作詞を手掛けたのは斎藤律子、そして作曲を担当したのは「ムード歌謡の父」と称された作曲家・中川博之です。中川はそれまでの哀愁漂うブルース調とは一線を画し、ラテンパーカッションの躍動感とマイナーコードの妖しさを融合させた先鋭的なメロディを構築しました。しかし、当初のレコード会社内の会議では、別の楽曲がA面候補として有力視されており、『さそり座の女』はB面(カップリング)に回される寸前だったと伝えられています。

当時の制作スタッフや本人が特番インタビューなどで明かした証言によると、現場のディレクターが「このイントロの掴みとインパクトはB面に眠らせておくには惜しすぎる」と猛反発し、土壇場でA面へと差し替えられました。結果として、発売直後から有線放送を中心にリクエストが殺到し、オリコンチャートで最高6位を記録。公称累計売上は50万枚を突破する大ヒットとなり、美川憲一の代名詞として定着することになったのです。

井上 凛
著者

井上 凛

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。