岸信介を語る上で欠かせないのが、日本近現代政治における「華麗なる一族」の血脈です。
岸は山口県(旧長州藩)の佐藤家に生まれ、出生名は佐藤信介でした。実兄には海軍中将を務めた佐藤市郎、実弟には後に歴代最長政権(当時)を築きノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元首相がいます。信介は中学時代に父の実家である岸家の養子となり、岸姓を名乗るようになりました。
そして、岸の長女・洋子は毎日新聞記者であった安倍晋太郎(後の外務大臣)と結婚。その次男として生まれたのが、平成から令和にかけて憲政史上最長の通算在職日数を記録した安倍晋三元首相です。
安倍元首相は生前、自著やインタビューで「自分は父(晋太郎)よりも祖父(信介)の政治思想に強く影響を受けている」と公言していました。岸が掲げた「自主憲法の制定」「日米同盟の真の対等化」「国家安全保障会議(NSC)の設置構想」は、半世紀の時を経て安倍政権における「平和安全法制の制定」「特定秘密保護法」「集団的自衛権の限定的行使容認」という形で具現化されることになります。
旧統一教会(国際勝共連合)との歴史的関係
近年、歴史社会学や政治取材の現場で再検証が進んでいるのが、岸信介と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)およびその政治組織である国際勝共連合との関係です。
冷戦真っ只中の1968年、韓国で設立された勝共連合の日本支部設立において、岸は笹川良一らとともに設立発起人や推進役として深く関与しました。当時の自民党右派にとって、強固な反共産主義思想を掲げて活発な運動を展開する教団勢力は、左派勢力に対抗するための「政治的実動部隊」として極めて重宝された側面があります。
岸自身が教団本部を訪れた記録や、教祖・文鮮明との親交を示す一次資料は残されており、この冷戦下における「反共協力関係」が、後世の自民党政治家と教団の癒着構造の源流となったことは否定できない歴史的事実です。