教科書や歴史解説で当たり前のように使われる「3B政策」という語句ですが、歴史学的には大きな盲点が存在します。実は、当時のドイツ帝国政府の公式文書に「3B政策(3B-Politik)」という単語はほとんど存在しません。
ドイツ国内の史料において、この動きはあくまで「東方政策(オリエント政策)」や「バグダード鉄道事業」として記録されています。ベルリン、ビザンティウム、バグダードという象徴的な3つのBを並べ、イギリスの「3C政策(カイロ、ケープタウン、カルカッタ)」と対比させる構図は、後世の歴史研究や、特に日本の戦後歴史教育(世界史教科書)の中で非常にわかりやすい対立概念として定着・体系化された側面が強いのです。
もう一つの決定的な誤解は、「3B政策によってバグダード鉄道が全線完成し、ドイツ軍が中東を縦横無尽に移動した」というイメージです。現実は全く異なっていました。
起伏の激しいタウルス山脈のトンネル掘削工事は難航を極め、さらにイギリスやフランスによる執拗な外交的妨害、資金難が重なりました。1914年に第一次世界大戦が勃発した時点で、バグダード鉄道は数箇所の未開通区間(ギャップ)を残したまま寸断されており、ベルリンからバグダードまで直通列車が走ることは一度もありませんでした。夢見た大動脈が機能する前に、大戦の戦火が帝国そのものを焼き尽くしてしまったのが歴史の残酷な現実です。