月亭方正は1988年、NSC大阪校の6期生としてお笑いの世界に飛び込みました。同期には雨上がり決死隊や千原兄弟といった錚々たる面々が並ぶなか、方正は軌保博光(現・てんつくマン)とともにTEAM-0(チームゼロ)を結成。東京進出を果たした1990年前後、彼の人気はすさまじい勢いを見せていました。
いわゆるアイドル時代とも呼べるこの時期、劇場の出待ちには数百人の女性ファンが列をなし、バレンタインデーにはトラック数台分ものチョコレートが届いたと当時の番組スタッフは証言しています。本人もバラエティや自著のなかで「人生最大のモテ期だった」と述懐しており、東京・渋谷の街を歩くだけでファンに囲まれる日々を送っていました。
当時の雑誌グラビアやブロマイドでは、現在のようなコミカルな笑顔ではなく、アンニュイな表情を浮かべる美少年ぶりが前面に押し出されていました。吉本興業が毎年開催していた「吉本男前ランキング」が本格的に定着する以前の時代において、方正はまさにお笑い界におけるビジュアルアイコンの先駆けだったのです。