忌野清志郎が遺した伝説の真実|名曲誕生の裏側と闘病の真相

忌野清志郎が遺した伝説の真実|名曲誕生の裏側と闘病の真相

忌野清志郎が遺した伝説の真実|名曲誕生の裏側と闘病の真相にまつわる興味深い視点を分かりやすく発信ます。

忌野清志郎(本名・栗原清志)の音楽遍歴は、東京都立日野高等学校の同級生たちと交わしたアコースティックな響きから幕を開けました。1968年、小林和生(ベース)や破廉憲史(ギター)らとともに結成されたバンドが、のちのRCサクセションです。バンド名は「The Remainders of The Clover Succession(クローバーという前身バンドの残党たちの継承)」という言葉に由来し、1970年にシングル『宝くじは買わない』でプロデビューを果たしました。

デビュー当時のRCサクセションは、アコースティックギターとウッドベースを中心としたフォークスタイルのトリオ編成でした。同窓生であった俳優・三浦友和との深い親交など、若き日の表現者たちとの交差がありながらも、初期の活動は商業的な苦境が続きます。フォーク全盛期の型にはまらない強烈なボーカルスタイルとソウルフルな節回しは、当時の音楽業界において早熟すぎた異端の存在だったのです。

転機が訪れたのは1970年代後半でした。エレキギターの導入とともに仲井戸“CHABO”麗市(ギター)、新井田耕造(ドラム)らが合流し、バンドはアコースティックからソウルやR&Bを昇華させた電化ロックバンドへと完全変貌を遂げます。渋谷屋根裏をはじめとするライブハウスでの怒涛のステージングは瞬く間に口コミで広がり、「動員ゼロの冬の時代」から「チケット即完のモンスターバンド」へと一気に駆け上がりました。派手なメイク、厚底ブーツ、きらびやかな衣装を纏いながら、腹の底から日常のリアルを叫ぶ清志郎の姿は、日本のオーディエンスにとって初めて目にする本物のロックスターの誕生でした。

石川 優花
著者

石川 優花

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。