ネット上の言説や若い世代の映画ファンの間では、「下條正巳=いつも柴又の団子屋の奥で新聞を読んでいる、人の良さそうなおじいちゃん」という固定観念で語られることが少なくありません。しかし、これは彼のキャリアのほんの一面を切り取ったものに過ぎず、役者・下條正巳の真の凄みを見落とす盲点となっています。
実際の下條正巳は、映画代表作や出演ドラマにおいて、冷徹極まりない悪徳代官、闇社会を牛耳るフィクサー、情け容赦のない刑事など、背筋が凍るような悪役・硬骨漢のキャラクターでも数多くの名演を残しています。テレビ時代劇の金字塔『必殺シリーズ』やサスペンスドラマで見せた鋭利な眼光と威圧感は、「おいちゃん」の温厚な笑顔と同一人物とは思えないほどの落差を誇っていました。
つまり、彼が演じた『男はつらいよ』のおいちゃんがこれほどまでに味わい深いのは、「内側に強烈な凄みと緊張感を秘めた役者が、あえてその牙を完全に隠し、市井の普通のおじさんになりきっていた」からに他なりません。凄みと哀愁を自在にコントロールできる圧倒的な演技の引き出しがあったからこそ、あの唯一無二の「とらやの日常」が成立していたのです。