1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高校生が行方不明となり、自宅に身代金20万円を要求する脅迫状が届く誘拐事件が発生しました。警察は身代金受け渡し現場に40人もの捜査員を配置しながら、現れた犯人を取り逃がすという前代未聞の大失態を演じます。直後に被害者は遺体で発見され、警察庁長官が引責辞任に追い込まれるなど、警察組織に対する世論とメディアの批判は頂点に達しました。
メンツを失った捜査本部は、事件現場周辺の被差別部落に捜査員を集中投入する方針をとります。「土地鑑があり、字が書けず、粗暴な若者」という偏見に満ちたプロファイリングのもと、徹底的な聞き込みと尾行が展開されました。その中で、養豚場を手伝いながら日雇い労働をしていた当時24歳の石川一雄氏がターゲットとして浮上したのです。
同年5月23日、石川氏は身に覚えのない傷害・横領などの別件容疑で逮捕されました。逮捕直後から連日連夜に及ぶ過酷な取り調べが行われ、睡眠を奪われ、家族への脅しや「自白すれば10年で出してやる」「兄が逮捕されて一家が路頭に迷うことになる」といった捜査官による甘言と偽りの取引が繰り返されました。
文字が読めない石川氏は、警察官が作成した調書の内容を確認することもできず、ただ言われるがままに指印を押印させられました。こうして、客観的証拠と著しく矛盾する「作られた自白」が完成し、石川氏は強盗強姦・殺人事件の犯人へと仕立て上げられていったのです。