なぜ板垣恵介氏は、余命いくばくもない重病エピソードを描きながら、徳川光成を退場させなかったのでしょうか。ここには綿密な物語構造論と、老境における心理メカニズムの真実が隠されています。
物語構造の観点から見れば、徳川光成は「不可侵のサンクチュアリ(聖域)を保証する唯一の審判者」です。地下闘技場という治外法権の空間は、光成の天文学的な財力と警察・政府への圧力があって初めて成り立ちます。もし光成が死亡してしまえば、地下闘技場は閉鎖されるか、あるいは単なる興行ビジネスへ堕落し、物語の骨格が崩壊してしまいます。
心理学的な視点からも示唆に富んでいます。老年期心理学において、人間の生命力を最後に支えるのは「情動の強さ(アフェクト)」と「明確な生きがい(Purpose in Life)」であるとされます。光成の癌寛解は漫画的フィクションではあるものの、笑いや過激な興奮、アドレナリンやドーパミンの大量分泌がナチュラルキラー(NK)細胞を活性化させる医学的事実は実在します。「死ぬ前にどうしても親子喧嘩が見たい」という狂気じみた執念が、光成を医学の限界の向こう側へと押し戻したのです。彼の存在は、目的意識を失った長寿がいかに虚無であるか、そして猛烈な欲望こそが生命の根源であることを逆説的に物語っています。