関ヶ原の裏切り者・小早川秀秋の家系図を解剖!血縁と子孫の末路

関ヶ原の裏切り者・小早川秀秋の家系図を解剖!血縁と子孫の末路

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小早川家への養子入りは、毛利家にとっても巨大な政治的波紋を呼んだ。当時の小早川家当主であり、「毛利両川」の一角として毛利氏を支えた智将・小早川隆景には実子がいなかった。秀吉は毛利本家への秀秋挿入をも画策したとされるが、毛利家の血統を守ろうとした隆景が機転を利かせ、自らの小早川家で秀秋を引き取る決断を下す。

こうして秀秋は、豊臣家の血縁者でありながら毛利一門の家督を継ぐという、前代未聞の二重構造を背負うこととなった。毛利本家の毛利輝元とは義理の従兄弟関係にあたり、系図上は西軍の中核勢力と極めて深い血縁で結ばれていたことになる。

だが、この名門・小早川家の家督継承は、秀秋自身に幸福をもたらさなかった。筑前名島30万7千石の大名となったものの、小早川隆景の死後は毛利家内部との溝が深まり、豊臣政権下での立場も不安定化していく。吉川広家ら毛利重臣たちとの冷ややかな関係は、後の関ヶ原の戦いにおける意思決定に暗い影を落とすことになった。

山崎 陸
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山崎 陸

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