忌野清志郎といえば、テレビ生放送での過激なアドリブパフォーマンスや、発売禁止騒動に見られる「過激なアジテーター」としての側面がネット上でも強調されがちです。THE TIMERSとして1989年に出演した音楽番組『ヒットスタジオR&N』で、放送禁止用語を交えてFM東京への抗議ソングを生演奏した事件などは、今なお伝説的な武勇伝として拡散されています。
しかし、近しい関係者や家族の証言を辿ると、ネット上に流布する「破滅的で傍若無人なロッカー」というステレオタイプとは全く異なる、きわめて思慮深くシャイな実像が浮かび上がってきます。清志郎は酒を浴びるように飲んで暴れるようなタイプのミュージシャンではなく、挨拶や礼儀を重んじ、スタッフやファンに対して常に低姿勢で接する人物でした。自転車(ロードバイク)をこよなく愛し、愛車「オレンジ号」で日本中をツーリングする姿は、健康的なアスリートそのものでした。
また、プライベートにおける忌野清志郎は、妻と2人の子供(長男・長女)を心から慈しむ家庭人でした。妻の景子さんを「カミさん」と呼び、エッセイやインタビューでも度々その存在のありがたさを口にしています。長女で現在消しゴム版画家・イラストレーターとして活躍する百世さんをはじめとする子どもたちに対しても、威圧的な態度は一切見せず、常に温かく創造的な環境を与えていました。
この家庭的な温かさの根底には、彼自身の生い立ちが大きく影響しています。清志郎は幼少期に生母を亡くし、母の姉夫婦の養子として育てられました。自らが養子であることを知ったのは青年期になってからであり、その喪失感と愛への希求が、彼が生み出す楽曲における「愛」や「家族」への深い渇望へと昇華されていたのです。過激なパフォーマンスは反抗のためのポーズではなく、理不尽な権力や社会の欺瞞から、愛する人々や平凡な日常の尊さを守るための防衛反応だったと言えます。