吉幾三の音楽人生は、決して順風満帆なスタートではありませんでした。青森県五所川原市(旧・北津軽郡金木町)の貧しい農家に生まれ、中学卒業後に上京。様々な職を転々としながら、1972年に「山岡英二」の芸名でアイドル演歌歌手としてシングル『恋人は君ひとり』でデビューしたものの、ヒットには恵まれず長い下積み生活を強いられました。
転機となったのは、1977年に本名の鎌田善人から改名してリリースした『俺はぜったい!プレスリー』です。自らの生活感をコミカルに描いた同曲が予想外の大ヒットを記録し、映画化されるまでの社会現象となりました。しかし、コミックソング歌手というレッテルに甘んじることなく、その類まれな音楽的才能は1980年代に爆発的な進化を遂げます。
1984年に発表された吉幾三の名曲『俺ら東京さ行ぐだ』は、東北の田舎暮らしを自虐的にテンポよく歌い上げた楽曲ですが、音楽理論的には日本で最初期に商業的成功を収めた「日本語ラップ」の金字塔として、現在も国内外のトラックメイカーから絶賛されています。さらに1986年には本格演歌『雪國』でオリコン週間チャート1位を獲得。1988年の『酒よ』では、男の哀愁と人生の機微を端正なメロディに乗せ、演歌史に残る不朽のスタンダードナンバーを確立しました。
演歌界において、自ら作詞作曲を手がけるシンガーソングライターは極めて稀有な存在です。千昌夫に提供した『津軽平野』をはじめ、数多くの歌手へ提供曲を送り出すなど、作詞作曲家としての吉幾三の手腕は日本レコード大賞をはじめとする数々の栄誉によって証明されています。